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書評

小峯敦著『ベヴァリッジの経済思想』昭和堂2007.2.刊行

『東洋経済』2007.6.30, 142頁.

橋本努

 

 

「福祉国家の父」といわれるウィリアム・ベヴァリッジ(1879-1963)。これまでケインズの影に隠れてあまり研究されてこなかった人物だが、その全体像を描く出色の作品が現われた。近年の学説史研究では最大の収穫であろう。

ベヴァリッジは、元々は内省的な少年で、オックスフォード大学では数学の奨学生であった。ところが大学卒業後、まず慈善事業家となり、次いでジャーナリスト、官僚、学者、政治家と、目まぐるしく転職を繰り返す。さまざまな分野で活躍したベヴァリッジだが、しかし周囲から疎まれ、追い出されるように転職したこともあったという。

一般に福祉志向の改革者というと、周囲の人々に賞賛された「博愛主義者」のような人物を思い浮かべてしまうが、本書で描かれるベヴァリッジはその正反対。この人はむしろ地位とカネにこだわる官僚志向の人間で、自伝の表題も『権力と説得』である。

ベヴァリッジは例えば、私的慈善事業で有名な「トインビーホール」の副館長に就くものの、スラム街での奉仕や慈愛に満ちた救済事業には「嫌悪感」があると言って、二年間でやめてしまう。また彼は保守党系のジャーナリストになるものの、思想信条には無頓着で、ひたすら金銭的な理由から仕事を引き受けている。

ベヴァリッジの本領は、思想よりも政策理念にあったようだ。彼は時代の趨勢に乗ることに長けており、政策の提案とその実行に大きな手腕を発揮した。興味深いのは、福祉国家の基礎を築いた彼が、平等主義者ではなく優勢主義者であり、また市場の調整機能を楽観視していた点だ。

彼は記者時代、自らの時給が日雇いレンガ積みの二七・五倍であると計算しているが、しかし社会の問題は給与格差ではなく「失業と保険」であるとして、その解決には「職業紹介所」と「失業保険」の創設が必要と考えた。これらの制度を整備すれば、市場の調整機能はうまく働くだろうと彼はみた。つまり、慈善活動には向いていなかったベヴァリッジは、国家介入によって貧困を克服すべく、各種法案の立法化に尽力したわけである。

ベヴァリッジ流の福祉国家観は、慈善国家(ナショナリズム)とは異質の、市民派リベラリズムである。だから彼は晩年、国家を超える世界政府を求め、「連邦同盟」の創設等にも貢献した。彼の国際主義の理想は、現代の福祉国家を再考する上でも示唆的であろう。未公開文書等を駆使しつつ、福祉国家の創設期とその人脈連関を再構成した本労作は、既存の福祉国家像を塗りかえるだけの力がある。

橋本努(北海道大准教授)